茂原・藻原寺エリア
藻原寺
鎌倉時代中期建長5年(1253)5月、藻原の領主斎藤兼綱公と、その一族の高橋五郎時忠公は観世音菩薩のお告げにより「笠森」の観音堂で難を逃れていた日蓮聖人を自邸に招き、教えを乞い「南無妙法蓮華経」と唱える最初の帰依者となりました。建治2年(1276)邸内に一小堂を建立し藻原寺「お題目初唱の霊場」が開かれました。日蓮宗の本山の一つです。
藻原寺山門
昭和8年、書家として名高い第78世雲山日我上人が筆一本で 建てたといわれる多宝塔形式の山門で、第84世日陶上人の設計によります。高さ25m、茂原市のシンボルとして親しまれています。
日蓮聖人愛馬の鞍
弘安5年(1282)9月8日、常陸の湯へ向かうため、身延山から池上までお乗りになった「愛馬くりかげ」の乗鞍で、日蓮聖人御生身の御乗鞍と伝えられています。病床にあっても、愛馬を気遣い、かねてから信頼を寄せていた驚藤兼綱公に舎人と共にお預けになりました。
妙源寺
正応元年(1288)の創立で、藻原寺第三祖日秀上人の父、高橋五郎時忠公が自邸に一堂宇を建立し、もとは妙福寺と称しました。古来、当国宗門最初の霊場と伝えられています。
茂原・藻原寺エリアの見どころ
茂原公園
藻原寺の境内に隣接する、昭和初期に開設された公園です。春を彩る園内のさくらは、ソメイヨシノなど約2,850本が植えられ、「日本桜の名所百選」に選ばれています。また、遊歩道が整備された公園内には市立美術館・郷土資料館があります。
茂原七夕まつり
昭和30年に第1回茂原七夕まつりが開催されました。市民が参加して楽しめる茂原全市あげての祭典となり今では関東三大七夕まつりとして県内はもとより県外にも広く知れ渡り、期間中は多くの観光客で賑わいます。
長南・笠森観音エリア
笠森観音(かさもりかんのん)
鎌倉時代中期建長5年(1253)4月28日に日蓮聖人は清澄山頂旭が森において、初めて「南無妙法蓮華経」と唱えられ法華経の信仰をお説きになりました。しかし、念仏信者の地頭・東条景信には受け入れられず、日蓮聖人は、清澄寺を追われてしまいました。法華経布教の為、当時の政治の中枢である鎌倉に上られる途上、長南氏の館(本詮寺)にお泊りになった後、笠森寺の観音堂に龍られました。お堂の片隅に「日蓮聖人参篭の間」があります。法難を受けた日蓮聖人が三七日間(21日間)篭ったと伝えられています。高橋五郎時忠公と斎藤兼綱公との対面は、この観音堂でおこなわれました。
笠森観音堂
笠森寺は天台宗の古利です。 一枚岩の上に建てられた観音堂は、61本の柱で支えられた四方懸造りと呼ばれる構造で、京都の 清水寺に並ぶ特異な建築様式であり国の重要文化財に指定されています。
日蓮聖人の詠んだ歌
「うきにふる涙の雨にぬれじとてけふ(今日)かさもりをみにきけるかな」
笠森絵馬(笠森観音)
絵馬は、日蓮聖人と高橋五郎時忠公が、笠森観音堂で対した伝承を江戸寺代初期の絵師、狩野安信が描いたものです。
本詮寺(御一泊の霊場)
長南氏の館跡で、日蓮聖人御一泊の霊場といわれます。 長南氏は武田氏に政権が変ると、土地を離れ、宮城県の松島に移り住み黒松を植え、山形に紅花を伝えました。
愛用のお箸
日蓮聖人は長南町鹿倉家に度々立ち寄られ食事をされました。その際にご使用のお箸。
朝日の井戸
鹿倉家近くにある 霊蹟 日蓮聖人ゆかりの井戸。
長南・笠森エリアの見どころ
市原ぞうの国
ぞうの背中に乗ることができる「ぞうさんライド」は子供に大人気です。
また、ライオン、カバ、レッサーパンダなど、子供に人気の動物たちと触れ合うこともできます。
養老渓谷
清澄山を源に、東京湾に注ぐ養老川の上流に養老渓谷が広がっています。滝や断崖など変化に富んだ渓谷美と、四季折々の自然が楽しめます。
釣りや川遊び、キャンプ、温泉などの人気スポットです。
上総国分尼寺
上総国分尼寺は寺域が全国で一番広く、付帯施設を含めた古代寺院の全貌が発掘調査によって初めて明らかになった国分尼寺跡です。昭和58年と昭和61年に遺跡の主要部が国の史跡に指定されました。
小湊鉄道
千葉県JR内房線の五井駅から上総野までの39.1キロを結ぶ素朴な路線です。昔ながらの古い木造の駅舎や無人駅で交わされる車掌さんとの会話など、懐かしい風情をディーゼルカーが運びます。
君津・加名盛エリア
経石塚(きょうせきづか)
日蓮聖人は清澄山で修行していた折に「法華経すべてを小石に書写して塚を築き、国家安泰を祈りたい」と念願されました。藤井図書(とがき)氏の仲立ちで、当地の地主・本吉藤太夫正久氏より土地を提供され、早速、法華経一部(約69,380余文字)を小石に一字ずつ書写し宝治元年(1247)に石を埋めて塚を築かれました。
不思議なことに、それ以来加名盛山は夜ごと光り輝くようになり、光明山と呼ばれるようになりました。
道善房塚(どうぜんぼうづか)
建治2年(1276)に日蓮聖人は師・道善房の訃報を身延山で聞きました。師への追善のため『報恩抄』を著し、墓前に供えるよう弟子に託しましたが、領主・東条家の反発を恐れた清澄寺から申し出を断られてしまいました。そこで日蓮聖人は、かつて経石塚を築いた山に「道善房塚」を建立し、法華経一部と『報恩抄』を読誦しご回向されたと伝えられています。 なお、千葉県西部宗務所では、元日蓮宗管長・池上本門寺第81世田中日淳猊下より御染筆を賜り、この地を顕彰すべく、平成18年に報恩塔を建立しました。基壇部には『御題目写経』が納経されます。
君津・加名盛エリアの見どころ
マザー牧場
鹿野山にある敷地面積250万平方メートルもある広大な牧場です。「ひつじの大行進」「乳牛の手しぼり体験」など様々な動物達と触れ合え、季節ごとの花に1年中囲まれています。特に菜の花が牧場一帯に広がる光景は圧巻です。大観覧車やパンジージャンプなどのアミューズメント施設も充実しています。
久留里城
城を築く際に雨が多く降ったことから「雨城」の別名をもち、戦国期には里見氏の拠点、江戸期には土屋氏・黒田氏と城主が変り、明治維新で廃城となりました。
昭和53年、本丸跡に天守閣が再建され、二の丸跡の資料館では城の歴史に関する資料が紹介されています。周辺には山城としての遺構が良く残り、往時の雰囲気を偲ばせています。
亀山湖
道善房塚にほど近い亀山湖では、11月下旬から12月上旬が紅葉の見頃です。また毎年8月第1土曜日に開催される花火大会は、尺玉を目玉に、約5,000発打ち上げられます。
光明寺・与三郎の墓
歌舞伎で人気の狂言『与話情浮名横櫛』。木更津が舞台の与三郎、お富の恋物語です。その切られ与三郎のモデルとなった人物の墓があることで知られています。
参拝客のなかには歌舞伎役者の姿も多く見られます。
潮干狩り
本格的な春の訪れを告げる3月に潮干狩りは始まります。1年間に約30万人もの人々が訪れる海のレジャーは8月いつぱいまで家族で楽しめます。
海ほたる
東京湾をはさむ木更津と川崎を結ぶ東京湾アクアラインの人工島が海ほたるです。東京湾周辺の景色を360度見渡せるパノラマデッキからは夕陽に映える富士山や、海に浮かぶベイブリッジの夜景なども楽しめます。