圓頓寺【endon-ji】

圓頓寺 写真1

〜泰廣山 圓頓寺 縁起〜

開山   室町時代 文明元年(1469)4月19日
開山聖人 心了院圓頓房日泰聖人(1432~1506)京都の生まれ。

 日泰聖人は、「上総七里法華の祖」京都 妙満寺第16世の僧侶である。
 第2世  長源院日行上人 宮司市川刑部の子 京都妙満寺第23世
 開基檀越 飯香岡八幡宮 宮司 市川刑部とその一族

「上総七里法華の祖 日泰聖人閑居祈祷の霊場」
 日泰聖人は京都に上がり権少僧都に任官し浜野の本行寺に帰ってきた。程なく八幡の八幡宮の神官が本行寺を訪ねた。
「私は八幡宮の神官で市川刑部と申すものでございます。今、息子が病気にかかり、手を尽くしても一向に回復の兆しが見えず、ほとほと困惑しております。幸い御前が京より帰国されたとの噂を聞きお訪ねいたしました。是非御前の力によって病魔退散を祈って頂きたい。」
と懇願した。

 日泰聖人は乞われるままに、すぐ行き枕元で圓頓の妙経を唱えると、病気はたちどころに治ったのである。
一族やそれを聞いた人々は日泰聖人のお徳に感服し、法華に帰依し、力を合わせ一寺院を建立した。これを日泰聖人の名「圓頓房」をとり、泰廣山 圓頓寺と名づけ日泰聖人の隠居の寺とした。

 後、市川刑部の子は泰師の弟子となり、各地の布教に尽力され諸寺を建立され京都本山 妙満寺第23世となる。

 先代山津顕妙は、境内整備。墓域整備。庫裡客殿を建立。

 現燈山津顕什は、日蓮宗千葉県西部社会教化事業協会の会長を務め、福祉の寄与と市原市交通刑務所等合同慰霊供養などに出向していた。

令和元年9月、房総半島に甚大な被害をもたらした台風で本堂の屋根が全壊し、境内の各所でも大きな被害を受ける。
住職、総代、役員たちによる再建の努力は、同じく被害を受けた檀信徒の生活を優先するため、思うように進まず、さらに翌年からのコロナウイルス感染拡大により全てが停滞し、再建への道は容易ではなかったが、被害から2年後、多くの檀信徒のご理解と協力のもと、令和6年3月春季彼岸月についに本堂再建の悲願が達成された。
 令和6年11月19日、日蓮宗千葉県西部宗務所管内の4組5組(市原市内の日蓮宗寺院)の各寺檀信徒の代表が集まり「地区統一信行のつどい」が開催された。
 今後も山津住職は多くのお檀家さんや信徒さんと信仰を深め、当寺を護持してゆく決意を新たにした。

圓頓寺 写真2
再建前の本堂
 
「日泰聖人閑居祈祷の霊場」
寺院名称
泰廣山 圓頓寺 
(たいこうざん えんどんじ)
住所
〒290-0062 千葉県市原市八幡1015-1
電話番号
0436-41-1625
FAX番号
0436-41-1625

住所:〒290-0062 千葉県市原市八幡1015-1
電話番号:0436-41-1625

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