2025年5月26日
市原市『瀬又のこいのぼり』で雅成会・青年会が出演
令和7年5月5日(月・祝)、市原市瀬又の正蓮寺(大塩孝信住職)に近接した村田川において『瀬又のこいのぼり』が開催され、雅成会(田中妙定会長=市原市真浄寺住職)と青年会(平松芳匡会長=茂原市満福寺副住職)が雅楽の演奏等で出演しました。

当日は快晴で、村田川をたくさんの鯉のぼりが悠々と泳いでいました。
地元のお店の出店や和太鼓の演奏などもあり、大勢の家族連れで賑わっていました。

雅成会は雅楽の演奏を行い、正蓮寺の大塩裕孝副住職が雅楽や楽器についての説明をし、多くの人が足を止めて演奏に聴き入っていました。

青年会は御首題、スマートボール、ポップコーンなどの出店をして、売上げは能登半島復興のための寄付としました。

2025年5月22日
令和7年度第63回全国日蓮宗青年僧北陸結集能登大会
令和7年5月22日(木)にて第63回全国日蓮宗青年僧北陸能登大会が行われました。
この結集は「能登復興~つなぐのと~」をテーマに揚げ、令和6月1月1日の能登半島地震にて被災した本宗寺院と周辺地域にて唱題行脚を行いました。未だ復旧さえままならない地域も広く残っております。青年僧のお題目に慰霊と復興祈願の想いを込めて、能登の地に響かせていただきました。
当日は260名ほどの青年僧が集まり、1珠洲 2輪島 3能登町 4七尾 5門前・志賀町の5グループに分かれて各地にて行脚を行い被災された寺院にてお経を唱え、住職よりお話を伺いました。



2025年5月20日
第30回 厳島神社千畳閣
令和7年5月20日
第30回法華経読誦施餓鬼大法要を厳島神社千畳閣にて行われました。
厳島神社千畳閣は、天正15年(1587年)、豊臣秀吉が毎月一度千部経を読誦するため政僧・安国寺恵瓊に建立を命じた大経堂です。
島内では最も大きな木造建築物で、畳857枚分の広さがあることから千畳閣と呼ばれてきました。
秀吉の急死によって工事が中止されたため、御神座の上以外は天井が張られておらず、未完成のままの状態で現在に至っています。千畳閣の本尊は釈迦如来座像でしたが明治初年の神仏分離令のため大願寺へ遷されて千畳閣自体は厳島神社の末社の豊国神社となっております。
法華経読誦施餓鬼法要は、平成7年当時、声明導師である早水日秀師、声明師連合会会長である南條孝仁師をはじめとする講師陣が厳島神社を参詣したことに始まり、平清盛が一門の平安を願って法華経28品を含む写経33巻を納経した厳島神社。そして、豊臣秀吉が千僧供養を発願しものの、未完のままの千畳閣。そこに訪れた一行の胸に、「この地で法華経を読みたい」という想いから始まりました。
今回は第30回として例年とは違った形にて執り行われました


2025年5月13日
令和7年度 修法師会総会 並 読誦会
令和7年5月13日、茂原市實相寺にて修法師会総会が行われました。

総会に際し行われた読誦会には会員18名が参加し、御祈祷経の読誦また木剣手合わせを行い、世界平和、会運の隆昌等をを祈念致しました。

2025年5月7日
本山 東身延藻原寺 晋山式
令和7年5月7日(水曜日)茂原市本山藻原寺にて晋山式が営まれました。晋山式とは、新たに任命された僧侶が初めてそのお寺に入ることを記念して営まれる法要のことで、「晋」は進む、「山」はお寺を意味します。

藻原寺第92世持田日勇貫首猊下より第93世として茂原市墨田妙源寺住職、増田日優新貫首猊下に法燈が継承されました。式典には総本山身延山久遠寺総務浜島典彦僧正をはじめ、大本山・本山の各貫首、僧侶、檀信徒約250名が参列し、お寺の節目をお祝いしました。
10時より山門から本堂前まで雅楽演奏を伴いながら行列を行い、その後藻原寺歴代の貫首猊下のお墓参りを行いました。

11時より大堂にて晋山報告式が行われ、前貫首であります持田日勇法主猊下より、藻原寺の伝統に従い口漏箱相承(くろばこそうじよう)が行われました。口漏箱とは、六老僧日向上人が示した教義書『金鋼集』をはじめとする秘宝がつめられた箱であり、継承することが藻原寺の法灯を継承することを意味します。

増田日優新貫首猊下は式中の奉告文にて、藻原寺の略歴伝統や責任をもって藻原寺を守っていくとの固い決意を述べました。


















